彼自身が夜間に暗室で長い時間をかけて現像したプリントは、トリミングや覆い焼き、 多重焼き付けなどの試行錯誤の成果です。一枚一枚のプリントに現れたくっきりとした ライン、根源的な感情、突き詰められた思いの中には、たぐいまれな一貫性と詩情、 幻想的な力が見て取れます。 最初の写真作品として知られるのは、フォルム的に申し分のない静物と、母および妻の 肖像ですが、既にそこにはたぐいまれな観察力が見て取れます。また風景写真は、彼の 作品の中でも最も大きな分量を占めます。 多くの丘陵の写真は、その頂に登り、あるいは飛行機で上空を飛びながら撮影されました。生涯を通じて、大地とそこに刻まれた畝の描くラインの中に人間存在の証しを捉えようとします。人間経験の何よりもの証しである労苦の印をそこに見ているのです。 ホスピスにも、成人してから再びカメラを手に戻ることになりました。自分の身を守る ようにカメラを構えながら、幼少期の亡霊たちに形を与え、苦悩や孤独、老人たちの動作を記録し、そこで見られる光景を更に心に強く訴えるものにしています。 それにしても苦悩は、彼が決して避けて通らなかった感情であり、むしろそれを積極的に求め、写真の中で昇華させようと しているように思えます。それは例えば「ルルド」といった作品にみられます。治癒を願う病人たちの行列は、叶わぬ希望の 悲しい証しです。 神学生達が雪の中で陽気で無邪気にマントを翻しているあの有名なシルエットも同じです。彼らの単純で儚く陽気な動きは、苦悩の裏の顔だからです。苦悩は直接表には現れていませんが、はっきりと知覚できます。動き回る彼らを観察する私たちは、彼らの踊りがいかに儚いものかを知っているのです。 ジャコメッリは、「プーリア」、「善き土地」という連作に見られるように、農夫たちのリズムにも強く惹かれ、農業の世 界の中に過去への回帰を求めていきます。しかしその過去はジャコメッリが実際に属したものではないのです。同じように 「スカンノ」では、アブルッツォ州の山間の町スカンノの通りに、かつてのリズムを、自分の回想の中の村のリズムを見つけ ようとします。 文:アレッサンドラ・マウロ (FORMA アーティスティック・ディレクター)