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染織における刺繍の歴史はもっとも古いと言われ、各時代、各地域で夫々の民族を華麗に彩ってきました。ある地域では、刺繍が細かければ細かいほど、魔を避け、福を呼ぶと信じられ、そのため人間業の限界、精緻の極みまで達しました。またある地域では、婚礼用の衣装はフリカリ(花刺繍)と艶やかに呼ばれました。本展では、染織の原点といわれるインドと、インドシナ諸国のものもあわせて、古布から現代のマスターピースまで、彩刺しの刺繍布約250点をご高覧いただきます。 |
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アジアの刺繍布の歴史は古く、有史以前から、とも言われていますが、そのルーツは種類、技法からしても、インドのものが一段と優れているようです。その中に白い木綿布に白い木綿糸で刺繍するチカン刺繍というものがあります。この刺し手は女性に限られ、彼女たちは人間以下の不浄な存在として2千年以上もの間、生かさぬよう殺さぬよう、刺繍だけを義務付けられてきました。古いものは特に精緻で、王侯貴族が身に付けましたが、今でも盛夏の一番のおしゃれ着です。インド西部地方も多様な刺繍を誇ってきました。特にヒンドゥー教の一派であるクリシュナ信仰は、寺院をいつも美しい布で飾ることで知られ、古来より特別にあつらえた宗教用刺繍布が作られました。この地域はジャイナ教も盛んで、豊富な資金を元に最高級の刺繍が献上されてきました。ジプシーのルーツといわれるバンジャラ族も、放浪の民ゆえ自ら布を織ることはできずとも、購入した布に刺繍を施してきました。少数民族の多くは、花嫁と母親が早くから自分の婚礼のためにと婚礼用儀式布を用意します。その出来映えは極めて重要で、腕のよい嫁は良い嫁とされ、賞賛されました。
北部カシミール地方では、カシミアを精緻な刺繍で飾ってきましたが、その中でムガール皇帝の好みによるムガール風の文様が成立しました。東部のベンガルでは刺繍と同時にキルトも作られてきました。バジャブでは、婚礼用衣装に、街の風景、生活、人々などをユーモア込めて刺繍することが行われました。またラジャスタンでは、部屋の中でろうそくの光を照らすと輝くミラーワークの布が好まれています。 |
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インドシナ諸国にも、ラオスのモン族のクロスステッチなど、多くの刺繍があります。タイ族のルーツといわれる中国南部のミャオ、ヤオ族などの少数民族は、2千年以上も漢民族に抵抗し、独自の文化を守りましたが、そこでは刺繍は細かければ細かいほど魔よけになるとされ、限界まで精密な刺繍を施しました。特に子供の背負い籠にしたものは、子供の健康と発育と魔よけを願い、精緻です。また放浪の民族といわれるラオソンも、民族衣装に完璧な両面刺繍を施してきましたが、藍と灰で染めた黒地にオレンジと赤のシルク糸による両面刺繍はあまりの難しさのため、現在ではその担い手がいないとのことです。 |
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インド刺繍布 19世紀頃 用途不明
刺繍の宝庫といわれるインド西部、グジャラートのもの。目の積んだ高度なチェーンステッチは繻子地に木枠を張り、特殊な鉤針で施した。地方宮廷や富裕な地主階級夫人たちが愛用した。 |
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ベンガル カンタ 19世紀
一般家庭の婦人たちによって作られたキルティング布。大きな蓮の花、動物人文紋、幾何学紋や花紋が用いられている。布を幾重にも重ね、必要な厚さにして刺繍してある。初期のものは赤と青などの2色に限定されていたが、後期になると様々な色が使われている。 |
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ヤオ族 儀式用刺繍布 20世紀前半 用途不明
タイ族のルーツのひとつともいわれる中国雲南 タイ北部に住むヤオ族の布です。彼らは刺繍を好み、特に細かい刺繍は魔よけになると信じられ、細かければ細かいほど良いとされている。そのため、人間技の限界まで細かい刺繍が施された。特に自分の婚礼衣装は、母親といっしょに準備し、刺繍が素晴らしいほど良い花嫁とされた。また子供用の背負い布には、魔を避け、健康に育つようと、特に細かい刺繍が施されている。 |
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