74年の夏、メイプルソープがスポンサーとなり、トム・ヴァーレインもギタリストとして参加して、「Hey
Joe/Piss Factory」というシングルを発表する。次第にニューヨークで評判を高めていった彼女たちはクラブ・CBGBで週に4晩、2セットずつのライブを行い、トッド・ラングレンやジョン・ケイルなどに注目され、ついに75年12月にジョン・ケイルのプロデュースにて、ファーストアルバム「ホーセス」をリリースする。「ホーセス」はセールス的にも47位に食い込むなど、比較的好セールスを記録するが、パティはこのアルバムをカーラジオで聴いたときに、そのひ弱な音づくりにガッカリしたという。パティ曰く「ロックン・ロールの一部は車の中にも存在するのよ」ということらしく、76年に出されたセカンド「ラジオ・エチオピア」では、よりアグレッシブな音づくりに挑戦し、クレジットもパティ・スミスという個人名からパティ・スミス・グループと変更した。プロデュースはチープ・トリックやエアロスミスなどで知られるジャック・ダグラスだった。 |
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