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STRANGE MESSENGER & CROSS SECTION : THE WORK OF PATTI SMITH

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1973〜74年頃、後にパティ・スミス・グループでギタリストとなるレニー・ケイがパティのポエトリー・リーディングのバックでギターを弾くようになる。彼は「クリーム」誌などで、活躍していた気鋭のロック評論家で、週末はヴィレッジにあるレコード店「ブリーカー・ボブス」でアルバイトをやっていた。ある日、店に入ってきたパティは、彼のかけていたジャズにあわせて踊り出し、レニーはカウンターから飛び出して2人で踊ったという。そのころパティはブルーオイスターカルトのキーボード、アラン・レイニアーと同棲生活を送っていたが、パティの働いていたブック・ストアに入ってきた青年と激しく恋に落ち、レイニアーと別れたパティは、彼と新たに同棲生活を始めた。後にニューヨークパンクのカリスマとして伝説となるテレビジョンのリードボーカル兼ギタリストのトム・ヴァーレインであった。

74年の夏、メイプルソープがスポンサーとなり、トム・ヴァーレインもギタリストとして参加して、「Hey Joe/Piss Factory」というシングルを発表する。次第にニューヨークで評判を高めていった彼女たちはクラブ・CBGBで週に4晩、2セットずつのライブを行い、トッド・ラングレンやジョン・ケイルなどに注目され、ついに75年12月にジョン・ケイルのプロデュースにて、ファーストアルバム「ホーセス」をリリースする。「ホーセス」はセールス的にも47位に食い込むなど、比較的好セールスを記録するが、パティはこのアルバムをカーラジオで聴いたときに、そのひ弱な音づくりにガッカリしたという。パティ曰く「ロックン・ロールの一部は車の中にも存在するのよ」ということらしく、76年に出されたセカンド「ラジオ・エチオピア」では、よりアグレッシブな音づくりに挑戦し、クレジットもパティ・スミスという個人名からパティ・スミス・グループと変更した。プロデュースはチープ・トリックやエアロスミスなどで知られるジャック・ダグラスだった。
How I blew my top, 2002
How I blew my top, 2002  (C)Patti Smith/The Andy Warhol Museum

ニューヨーク周辺で次第に巻き起こっていったパティ・スミス・シンドローム。確固たる地位をこのアルバムで築いた彼女は78年に最大のヒットとなる3枚目のアルバム「イースター」を発表する。このアルバムで、ブルース・スプリングスティーンと共作した「ビコーズ・ザ・ナイト」は全米で大ヒットする。

恋多き女性として名をはせたパティだが、元MC5のギタリスト、フレッド・スミスとの出会いは彼女の生活を一変させた。それまでの毒々しい鋭利なカミソリのような彼女の官能的な詩は、フレッドへの愛に満ちあふれたラブソング一色となり、79年に出した「ウェイブ」はパティ流ウエディング・アルバムとなった。プロデュースはトッド・ラングレンがつとめ、このアルバムは「イースター」をも上回る18位の大ヒットとなるが、パティは79年に出したこのアルバムを最後にフレッドとの愛に生きるために活動を停止させた。

デトロイトに引っ越したパティはフレッドとの間にふたりの子をもうけた。息子のジャクスンと娘のジェシー。彼女の生活はかってないほど安らかで、愛情に満ちあふれていた。彼女はその生活から得たポジティブな感情を少しずつ詩や曲にしていった。そして夫のフレッドと「イースター」のプロデューサー、ジェミー・アイオヴォンとの共同プロデュースで86年頃から2人目の出産をはさみながらレコーディングが続けられ、88年に「ドリーム・オブ・ライフ」という9年ぶりの新作がリリースされる。

93年にパティは久々にニューヨークセントラルパークにて観衆の前で詩の朗読を行った。彼女はこの時に、自分自身のためにもう一度活動を再開する必要を感じたという。パティとフレッドは95年の夏のレコーディングを目指して曲を書き始めた。ところがパティにとって最大の不幸が襲う。94年11月4日に最愛の夫フレッド・スミスが心不全にて急死してしまう。さらに実の弟のトッドが心臓麻痺で…さらにはパティ・スミス・グループのキーボード奏者リチャード・ソウルが亡くなった。その5年前の89年にはかっての恋人であり、長年の親友だった写真家のロバート・メイプルソープがエイズにより亡くなっている。亡くなる3週間前にパティは彼を見舞って手をとり泣き続けたという。

97年1月に日本への来日を果たし、東京5回、大阪1回のライブを行う。そして、それから間もない97年の夏には自らパティの大ファンであると常々公言しているREMのマイケル・スタイプなども参加して、7枚目のアルバム「ピース・アンド・ノイズ」を発表し、精神的にも完全にカムバックを果たした。さらに2000年には最新アルバム「ガンホー」を発表し、2001年のフジロックにへの出演、2002年にも同コンサートに参加。ベストアルバム「ランド」発表。

2002年9月、アンディ・ウォーホル美術館にて初の回顧展「ストレンジ・メッセンジャー」を開催、ヒューストンの現代美術館を経てパルコ・ミュージアムでの展示。この展覧会には、世界でも初となるパティの写真作品「クロス・セクション」も特別に展示し作品集もヒステリック・グラマーより出版された。また、名古屋・博多・大阪・東京でのコンサートも行い新旧のファンを魅了したばかり。

「ピッツバーグでのコンサートにて」
「ピッツバーグでのコンサートにて」  (C)Taka Kawauchi

プロフィール制作:河内タカ < Back

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